2012/4/10
この人に、こんな特技が②
スタッフの隠れた特技を発掘せよ! 《シリーズ第2弾》 第1弾はここ 毎度毎度、体をはったレクで ご利用者を盛り上げる...
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皆様こんにちは。
システム担当のまるです。
先日、アンパンマンの1500回放送を記念して、「ばいきんまんとアンパンマン」が放送されました。ドクターヒヤリが発明した赤ちゃんスプレーでアンパンマンとばいきんまんが赤ちゃんになってしまう、というお話です。
何も知らずに子供と観ていた私は、題名からしていつもと違い特別感があるので、「もしかして最終回か?」と不安になりました。(というのも、私が子供を見る時間は、どうしてもアンパンマンに頼ることが多いので・・・)
話の最後には唐突に白黒のシーンになり、お腹がすいて動けない「やなせうさぎ」(作者のやなせたかしさん)がアンパンマンの顔を食べて、「これで旅を続けられる」と喜び、アンパンマンの「困ったらいつでも呼んでください、すぐに助けに来ます」というセリフで終わります。
不安になって調べてみると1500回記念作品だったことがわかり安心しましたが、最近子供と週末にアンパンマン映画を見ることが楽しみの一つになりました。
今回は、そのなかでも特に印象に残った作品をご紹介したいと思います。
※完全にネタバレしますので、これから見る予定の方はご注意ください
ゴミラはごみを食べるキャラクターなのですが、この映画の前日譚となる「アンパンマンとゴミラ」というお話があります。この話は、ばいきんまんのせいでごみを食べると巨大化するようになったゴミラが街で暴れてしまい、自我を取り戻した後もみんなの迷惑を考えて一人海の底に去っていくという、ハッピーエンドが大部分を占めるアンパンマンのなかでも切ない話として有名です。
ストーリーはごみで汚れてしまったヤーダ星を元に戻すため、ヤーダ姫が地球に助けを求めてくるところから始まります。ヤーダ星のごみをゴミラに食べてもらえばいいのでは、という案のもと、皆でゴミラを探します。ゴミラは海の底で一人で泣いていました。
ヤーダ星でたった一人で暮らしていたヤーダ姫と、独りぼっちで海の底で暮らしていたゴミラは意気投合し、アンパンマン達と一緒にヤーダ星に向かいます。
しかし、先回りしていたばいきんまんは、ヤーダ星にロケットエンジンを取り付け、ヤーダ星ごと地球に落とす作戦を決行します。(まるでシャアのアクシズ落としです、ばいきんまんは地球を寒冷化させたかったのでしょうか)
何とかロケットエンジンを破壊しますが、ヤーダ星は地球に落下する軌道に乗ってしまいます。アンパンマン達はヤーダ星を押して何とか軌道を変えようとしますが(「アンパンマンは伊達じゃない!」というセリフが聞こえてきそうです)、ついに大気圏に突入してしまいます。単体で大気圏突破できるアンパンマンはともかく、このままではジャムおじさんやバタコさんはただでは済みません。
ゴミラはヤーダ星の火山に自分が身を投じることで、ごみエネルギーで火山を爆発させて、ヤーダ星の軌道を逸らすことができるのでは、と言います。ヤーダ姫は反対しましたが、それなら自分も行く、と二人で火山から身を投げました。アンパンマンが助けに来ると、「ここはぼく一人でいくよ。」とヤーダ姫をアンパンマンに託し、マグマの中に落ちてしまいます。
火山は噴火し、ヤーダ星は落下軌道から逸れましたが、ゴミラは焼け焦げて息絶えてしまいます。アンパンマン達は泣いて悲しみますが、その時、いのちの星がゴミラに宿り、息を吹き返します。生き返ったゴミラは、地球に帰らずヤーダ星でヤーダ姫と生きることを選びます。ゴミラは言います。「もうさみしくないよ。友達ができたから」。
環境問題をテーマにした作品です。
映画を見たときはゴミラがなぜ海の底で泣いているのかわからなかったのですが、前日譚の話を見て納得しました。ゴミラは本当に優しい性格で、アニメでのあまりに悲しい終わり方がショックだったので、映画の結末は個人的に気に入っています。
冒頭で紹介した「ばいきんまんとアンパンマン」でも使われていた曲、「勇気の花がひらくとき」を主題歌としている作品です。(子供もこの歌が好きでよく歌っています)
この映画で、アンパンマンの顔を焼くときに、勇気の花のジュースが入れてあり、そのおかげでアンパンマンは勇気100倍になっていることが明らかになります。
ストーリーは、過密スケジュールが原因で、家出してきたキララ姫をアンパンマンが助けるところから始まります。キララ姫は地球でパン工場に住み、学校に行ったり、皆と楽しく過ごします。
アンパンマンと仲良くなったキララ姫はアンパンマンに「私のこと好き?」と聞きます。
アンパンマンはもちろん、「大好きだよ」と言います。キララ姫は大喜びです。
ある時、カバ男君たちとアンパンマンが遊んであげていると、キララ姫は「アンパンマンは私のことが好きなのだから、私と遊びなさい。」と言います。カバ男君はそこはゆずるべきでしたがやはり子供で、「違うよ。アンパンマンはみんなのことが大好きなんだよ。」と言います。アンパンマンもアンパンマンで、キララ姫にそのことを問い詰められると、「そうだよ。僕はみんなのことが大好きなんだ。」と答えてしまいます。
ショックを受けたキララ姫は、何を思ったか勇気の花のジュースが入った瓶をたたき割ってしまいます。(キララ姫怖いです)
その時、ばいきんまんがパン工場に襲来します。
顔が汚れてしまったアンパンマンの新しい顔を焼こうとしますが、勇気の花のジュースがないことに気づきます。仕方ないので、ジュースなしの顔を焼きますが、アンパンマンはいつもの元気がなく、「勇気3倍 アンパンマン」になってしまいます。
アンパンマンはばいきんまんのメカから逃げ回り、ばいきんまんに「敵ながら情けないやつだ」とまで言われてしまいます。パン工場は炎上し倒壊します。
その時になって、キララ姫は勇気の花のジュースの瓶を割ったのは自分であることを告白し、アンパンマンに詫びます。アンパンマンと共に炎のなかで消えゆく寸前、キララ姫の涙で勇気の花が一面に咲きます。勇気100倍となったアンパンマンはばいきんまんを撃退し、キララ姫は地球でお世話になった旨を謝し、自分の星に帰っていきました。
いつもは当然に、どんな敵に対しても恐れることなく勇敢なアンパンマンが、敵に怯えて逃げ回る姿は、普段のアンパンマンがどれだけすごいのかを逆に再認識することになりました。
個人的に、逃げ回っているアンパンマンに対しても、街の皆がアンパンマンに頼り、戦わせようとしているのはどうかと思いました。(呼べばいつでも助けてくれて当たり前、という認識をもってしまう怖さですね)
海に捨てられた人形をアンパンマンが助けるところからストーリーが始まります。
アンパンマンの命の源でもある「いのちの星」が宿り、動けるようになった人形(ドーリィ)のお話です。
ドーリィはパン工場で一緒に暮らし、学校にも行くようになるのですが、アンパンマンのマーチを聞いて、「変な歌」、「なんのために生きるかなんて、自分が楽しむために決まっているじゃない」と言います。(カバ男君は「ちがうよ」と否定はしますが論証できません・・・)
また、アンパンマンになんのために生まれてきたか聞いた時「困っている人を助けるため」という答えを聞くと、「アンパンマンはみんなに格好よく見せたくて嘘ついてる」、とまで言い放ちます。
みんなが掃除している時も遊んでいる、給食で並んでいる他の子の前に割り込むなど、身勝手なドーリィは、ついに他の子どもたちから相手にされなくなってしまいます。
ドーリィは人形の頃、持ち主から意地悪された挙句、海に捨てられた過去がありました。
その経験を通して、もし命が宿るときがあれば、「自分が好きなことだけ考えて、自分が好きなことをして楽しむ」という考えを持つようになったのです。
そんな中、ばいきんまんが新型メカ「かびだんだん」で来襲します。
コントロールが効かなくなり暴走するかびだんだんは町で暴れまわり、ドーリィに向けて、ビームを放ちますが、アンパンマンが身を挺して庇います。そしてアンパンマンからいのちの星がどんどん抜けていき、ついに息絶えてしまいます。(バタコさんが新しい顔を投げても何も起きません)
その時ドーリィはなぜ自分だけのことを考えて行動しても楽しくなかったのか気づきます。
ドーリィは「私の心はアンパンマンと一緒に困っている人を助けていく、いつまでもずっと・・」と、自分のいのちの星をアンパンマンに与えることで、アンパンマンを復活させた代わりに、元の人形に戻ってしまいます。
アンパンマンはかびだんだんを倒しますが、ドーリィは人形のままです。町の人たちは皆帽子を脱いでドーリィのいる広場に集まってきます。アンパンマンは言います。「ドーリィちゃん、君は僕の中で生きているんだ、ずっと一緒に」。
その時、いのちの星の大群が空をよぎり、その一部がドーリィに宿ります。
ドーリィは人間として生まれ変わり、アンパンマンと抱き合いながら喜びを分かち合います。
感想として、非常にストーリー性が強い作品でした。どちらかというと大人向きで、子供は面白くなかったかもしれません。さすがのアンパンマンワールドでも、ドーリィのような身勝手な振る舞いをすると、みんなに相手にされなくなってしまうところは、現実と同じなんだなと思いました。劇場版は「生きる意味」を問う作品が多いのですが、この作品は特にその傾向が強く、色々と考えさせられました。
以上、映画アンパンマンのおすすめ作品でした。
アンパンマンという作品は、有名なテーマ曲「アンパンマンのマーチ」の歌詞に「なんのために生まれて なにをして生きるのか」とあるように、それぞれの「使命」を主題にしているように感じます。アンパンマンやばいきんまんのように明確に使命を自覚しているキャラクターもいれば(アンパンマン:「困っている人を助ける」、ばいきんまん:「アンパンマンを倒す」)、ロールパンナちゃんのように自分の使命がわからず、それを探し続けるキャラクターもいます。
仕事柄か、最近考えるのは「使命を終えた後」です。
アンパンマンもいつかは空を飛べなくなり、アンパンチも打てなくなり、「困っている人を助ける」という使命を終える時が来るかもしれません。ジャムおじさんもまた、いつかおいしいパンを作ることが出来なくなるかもしれません。
そんな時、自然な感情としては、「いままで頑張った分だけ報われてほしい」、「残った時間を楽しんで生きてほしい」、と思うかもしれません。
最近、介護現場の職員同士の話で、「xxさんって笑うの?」、「笑う笑う、前トイレ介助してるとき爆笑してたよ」という話を聞きました。私はxxさんが笑うどころか話すところも見たことがなかったのでびっくりしました。また、xxさんが笑っているところを見てみたいと思いました。
以前エンタメのカールさんに、要介護度の高い特養やショートではどういうレクをすればいいか聞いたことがありました。カールさん曰く「特にイベントなどの改まったレクをする必要はなく、テレビを一緒に見て面白がる、一緒においしい食べ物を食べる、他愛もない会話をする、などで充分で、そういった日常の一瞬一瞬をとらえて、楽しんでもらうことが大切」と教えてくれました。(記憶が定かではないですが、多分趣旨は間違ってないと思います)
アマルネス・ガーデン施設長の言葉を借りると、これが「想像」し、「創造」するということの意味の一つなのでしょう。精一杯生きて使命を終えた方達に対して、アンパンマンのマーチにもあるように「なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ」のかを「想像」し、楽しいひとときを「創造」することをお手伝いできるというのは、介護職という大変な仕事の中でも、本当に尊い部分だと思います。
もしアンパンマンやジャムおじさんが使命を終えたとき、その余生が楽しいものであることを願ってやみません。
最後に少し固い話になってしまいましたが、お子さんがいる方は是非アンパンマン映画をご覧になってみてください!