おもちゃ箱

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介護福祉士・社会福祉士・保育士 実習生受け入れ 兵庫・尼崎・日生中央・姫路
以前、自分のfacebookに
流れてきた
 
 
ブログでご紹介させていただき
 
感動した!という声が
たくさん寄せられました。
 
ご存知の方もいらっしゃると
思いますが
 
私が最近よく泣かされるが
これもfacebook上で見つけた
 
『うるっと速報』
 
 
【フィクション・ノンフィクションが
含まれることをご理解ください】
 
とあるので
 
全部が実話ではないです。
 
個人的には、それはどっちでもよくて
 
感動する・しないも人それぞれだとは
思うのですが
 
たくさんの人が読んで
 
何かを感じた文章は
 
是非このブログでもご紹介させて
いただきたいと思います。
 
 
(うるっと速報より引用)
 
『おもちゃ箱』
 
*―*―*―*―*
 
 
子供の頃、夏休みになる度に
母方のばあちゃんちに遊びに行ってた。
 
ばあちゃんちは、車で2時間くらいの
山の中の集落。
 
じいちゃんはとっくに死んでて
一人暮らし。
 
近くにオバちゃん夫婦が住んでて
面倒見てた。
 
俺が遊びに行く度に
ばあちゃんは喜んでくれて
 
あれこれご馳走してくれた。
 
 
俺専用のおもちゃ箱が置いてあり
 
プラスチックの野球セットとか
虫かごとかが入ってた。
 
「すぐ遊べるように
おもちゃ洗っといたよ~」
 
ばあちゃんはニコニコしながら言ってた。
 
すぐ裏手が山だったので
 
カブトムシなんかもたくさんいて
ばあちゃんちは結構お気に入りの場所だった。
 
 
でも、それも小学校高学年まで。
 
学校の友達と遊んでたほうが楽しいし
 
まして中学に入れば部活もあったし、
 
自然とばあちゃんち訪問は
夏休みの行事から消えていった。
 
最後に入ったのは小5のときだったと思う。
 
 
そんなのが寂しかったのか
 
夏休みが近くなる度にばあちゃんから
電話が掛かってきてた。
 
母親から「たまに顔見せて来いって」とも
言われてた。
 
 
その度に「う~ん」と生返事をし
やり過ごしていた。
 
少しわずらわしくもあった。
 
毎年、そんな感じで中学、
高校の夏休みを過ごし
 
おれは大学生になっていた。
 

 
大学3年の夏休み。
8月になったばかりの昼頃。
 
だらだら寝てた俺は、
母親から叩き起こされた。
 
ばあちゃんが
亡くなった。
 
その日、オバちゃんが
ばあちゃんちを訪ねたところ
 
台所で倒れていたらしい。
 
 
なくなったのは前日の夜。
 
くも膜下出血との事。
 
ばあちゃんの遺体が
夕方病院から戻るとの事で
 
母親と妹の3人でばあちゃんちに向かう。
 
車は俺が運転した。
 
なんか、現実感がない。
ぼーっとしている。
 
母親は助手席で黙りこくっている。
 
妹は後ろで泣いていた。
 
 
夕方頃、ばあちゃんちに着いて
遺体と対面する。
 
10年ぶりくらいの対面。
 
でも、ばあちゃんは冷たくて
白くて、小さい。
 
泣き出す母親と妹の横で
 
俺はやっぱりぼーっとしてる。
 
頭に靄がかかった感じ。
涙は出てこない。
 
 
(おれって冷たいのかな?)
 
 
そんなことを思ったりしてた。
 
 
なんとなく居たたまれなくなって
庭に出てみる。
 
庭の隅にある、ばあちゃんの納屋。
 
子供の頃、よくここで遊んで怒られた。
 
中に入ってみると、
いろんなものが置いてある。
 
全部、埃まみれ。この埃の匂いは
子供の頃と変わらない。
 
足元に俺のおもちゃ箱を見つける。
 
プラスチックのバット、ボール
虫かご、ミニカー・・・
 
 
「?」
 
 
・・・次の瞬間気付いた。
 
これ、ひとつも埃が付いてない!
 
 
慌てて、箱を抱えて
 
オバちゃんのところへ駆け出す。
 
「オバちゃん、これ・・・?」
 
オバちゃんは最初怪訝な顔をしてたけど、
 
俺の聞きたいことに気付いて
 
 
「それねぇ、ばあちゃんが毎年、
夏になると洗ってたのよ。
 
Mちゃん(俺)がいつ来ても
遊べるようにって・・・。
 
もう、そんな年じゃないよって
言ったんだけど
きかないのよねぇ。」
 
オバちゃんは泣いたような
笑ったような顔だった。
 
 
初めて泣いた。
 
 
もう、箱を抱えて、座り込んで大声で泣いた。
 
10年もばあちゃんは俺を待ってた。
 
俺のおもちゃを洗いながら
ずっと待ってたのに
 
「遊びにおいで」
 
何十回もばあちゃんは
言ってたのに。
 
なんでこんなに人は
 
人のことをこんなに
想い続けられるんだろう?
 
 
そして俺は、そんな想いを
 
こんな風に形にして
目の前に出してもらわないと
分からない。
 
自分が本当にくだらなくて
愚かな人間に思えた。
 
 
ばあちゃん、ごめんなさい。
 
 
いつでも会えるんだから、と
後回しにしてた。
 
ばあちゃんがいることが
当たり前だと思ってた。
 
それが、ずっと続くことが
当たり前だと思ってた。
 
 
ばあちゃん、ほんとにごめんなさい。
 
 
 

 

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コメント

  1. カール織田 より:

    自分にも大好きな祖父がいたので、泣けたわ・・・
    祖父に会いたくなった。
    今度の休みに、祖父に会いに墓参りに行ってこよう!

  2. 新人 より:

    私も、亡くなった祖父を思い出しました。。
    特に専門学生時代、1年に2回くらいしか
    実家に帰らなくて(しかも1泊しかしなかったり)・・

    実家を離れている間に、気付いたら祖父は、
    お酒で飲んだくれ&暴れ倒し状態だったので
    感謝を告げることも、何もしてやれませんでした。

    気付いた時には遅いっていう、今やらなきゃいけないことが
    この年になって、ようやく色々分かってきました。

  3. のだみ より:

    おばぁちゃん子だったので、涙が出ました。
    とても厳しい祖母だったのですが、厳しくもいつも味方でいてくれました。毎日、日記をつけるのが楽しみな祖母だったのですが認知症になり、私も仕事が忙しいを理由にして、いつも傍にいてくれる事がうざく感じていました。認知症もひどくなり、日記も書けなくなりました。去年に祖母を亡くしました。いまだにどこかの施設にいる様に感じています。亡くなってから祖母が書いていた日記を読みました。そこには家族全員の事が書いてあり、認知症に不安な日々を送っている祖母の心のこえ

  4. のだみ より:

    が書いていました。「なんやようわからん。わからんくなってきた」でした。このブログを読んで、大好きな祖母の偉大さをまた感じる事ができました。

  5. 新人 より:

    >のだみさん
    コメントありがとうございます。素敵なおばぁさまだったんですね。のだみさんのコメントをみて私も思わず涙が。。

    「忙しいから」と、社会人になったばかりの頃は
    私もよくそう言って、逃げていたことがあります。。
    うまく家族と向き合えず、そんな自分に悩んでいた頃
    昔の上司に「孫の将来を犠牲にしてまで、自分のことを考えて欲しいと思っている親なんていないよ。今自分がやりたいことを精一杯やったほうが、よっぽど親孝行になる」という言葉に
    少しラクになったのを、よく覚えています。

    私もそうですが、おばぁさまを通して得た経験を
    今残っている家族に対して後悔のないように
    接していきたいですね。。
    「思い出してあげることこそ、最大の供養」と言います。
    このブログでたった数分間でも、想いだすきっかけになったことを、嬉しく思います!