2022/1/20
あかね農園のいちじくを使った「いちじくとラズベリーのジャム」
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皆様こんにちは。
システム担当のまるです。
以前、「ヘルプマン!」という介護マンガを読んだ感想をブログにしたのですが、
このマンガには「ヘルプマン!!」という続編があります。(タイトルをよく見ると、ビックリマークが一つ増えています)
登場人物のその後などが気になったこともあり、購入して読んでみました。
前作は青年漫画誌に連載されていましたが、今作は新聞社の週刊誌に連載されていたこともあり、より社会に対する問題提起の側面が強くなっているように感じました。
そこで、今回は「ヘルプマン!!」を読んだ感想について書きたいと思います。
高齢者の意向を全てにおいて優先し、スタンドプレーに走る恩田百太郎(主人公)は、事業所をことごとくクビになり、ついに個人でホームヘルパーを始めることになりました。
順調にキャリアを重ね、社会福祉士として社協(社会福祉協議会)に勤めていた神崎仁(もう一人の主人公)は、「介護総合情報センター」というNPO法人を街のスーパーの一角に立ち上げました。(神崎曰く、スーパーは町の情報が集まるところだから、という理由)
一度は理想と現実の違いに介護を続ける自信をなくし、介護業界からドロップアウトしていた宝来みのり(百太郎と神崎の高校時代の同級生)も、紆余曲折を経て介護業界に戻り、神崎のNPO法人を手伝っています。
「ヘルプマン!!」は全10巻で、構成は以下の通りです。
第1巻 | 介護蘇生編 |
第2~3巻 | 高齢ドライバー編 |
第4~5巻 | 排泄編 |
第6~7巻 | 密愛編 |
第8~10巻 | 介護ボランティア編 |
テーマは「胃ろう」と高齢者の心の「蘇生」です。
胃ろうとは、おなかに開けた穴にチューブを通し、直接胃に食べ物を流し込む方法で、加齢によって嚥下が困難になった場合などに造設します。
複数施設での不適切な介護で生きる気力を失った高齢者に、大好物のカツ丼を口から食べてもらい、「生きるスイッチ」を再び入れるために百太郎達が奔走します。家族は胃ろうを外すかどうかの選択を迫られることになります。
この高齢者は口から食べることが出来るようになる見通しがありましたが、そのためには口から食べるための長い訓練が必要でした。母子家庭で、自身も難病の治療中の環境下でその選択をするのは重過ぎたと思います。個人的に、どちらの選択をしたとしても、全力でサポートしてくれる業界であってほしいと思いました。
認知症を発症し、その事実を受け入れることが出来ないまま車を運転し続ける高齢者の話です。
認知症の疑いがあったとしても、それだけで警察が免許証を取り上げることは出来ず、免許更新時か「特定の違反」があった場合に、認知症と診断されたら免許取消または停止となります。百太郎の台詞を借りれば「事故待ち」状態です。しかし、認知症ドライバーが全員事故を起こすわけでもなく、現在進行形で深刻化している社会問題です。
車の運転が生きがいであったり、車が生活に必須の環境では、自主返納は難しいと思います。
結局は、この代替手段を考えるしか方法はないかもしれません。
この話では、免許がなくても運転できる試乗会を活用しました。介護事業所としても出来ることがあるかもしれません。需要は多いと思いますので、これからの課題ですね。
排泄に関する短編集です。
印象に残ったのは「オムツフィッター」の話でした。(オムツフィッターとは、おむつトラブルのよろず相談を受ける職のようです)
介護が必要になった妻とその夫の話なのですが、おむつからどうしても排尿が漏れてしまうことに悩んでいました。ヘルパーから話を聞いて、パッドを重ねる、パッドに切れ目を入れる、オムツの種類を増やすなど、様々な方法を試しても漏れてしまい、その挙句高額のオムツ代が掛かり、妻は食欲もなくなり、さらにはカテーテル(尿を排出させるためのチューブ)を入れるという話まで出てきます。
そんな時に「オムツフィッター」を名乗る女性と出会います。
その女性はパッドは重ねれば重ねるほど漏れると言います。話を鵜呑みにしたわけではありませんが、自棄になった夫はどうせ漏れるなら、とオムツを外して下着とパッド一枚にします。
すると、なぜか漏れはなくなりました。
オムツフィッターの女性が言うには、オムツをグルグル巻くと胃が圧迫されて食欲が出ない、姿勢が悪くなる、パッドを重ねるほどギャザー(ギザギザの部分)という防波堤が低くなるので漏れやすくなること、漏れを防ぐにはオムツのサイズをフィットさせること、パッドのギャザー(ギザギザの部分)に沿わせることが大切だと教えてくれました。また、排泄チャートを作成して、排泄のパターンを把握することの重要性も強調します。
この話を通して、介護職の正しい知識の大切さを痛感しました。何が正しくて、何が間違っているのかを追求し続ける姿勢が必要なのかもしれません。
「高齢者の恋路」と「責任の所在」をテーマにしています。
百太郎が本人たちの意思を尊重するあまり、高齢者同士を無断で連れ出し、二人きりにしたとき事故が起きます。男性が心臓発作で亡くなってしまうのです。
これまで事業所をすぐクビになっていた百太郎は介護の成功事例しか知らず、看取りの経験がなかったこともあり、自分の責任だと悔い、苦しんだ挙句ヘルパーを辞めようとします。
それだけでなく、女性方の家族から刑事・民事で訴えられることになります。
今回の百太郎の行動は訴えられても仕方ないかもしれませんが、少しのミスが高齢者の人生に影響することが多い介護業界では、他人ごとではないと思いました。
明確な答えがない介護において、あの時ああしていれば、こうしていれば、という迷いや悔いは誰もが経験したことがあると思います。少なくとも、その時点で考え尽くした「最善」の行動を取ったのであれば、悔いても仕方のないことかもしれません。より良い「最善」を目指して前進するためにも。
有償ボランティアに興味を持った主婦を中心にした、地域支援事業がテーマです。
神崎と宝来は、高齢者を集めて食事をしたりゲームをしたりする活動だけでなく、本当に必要なのはそこから見えてきた小さくて個別な困りごとへの具体的な支援であり、それは地域の人の手でやるしかないと考えます。そして寄付金を元手に、ボランティアや有志と連携して、「より良い高齢者支援サービスを納得価格で提供するビジネス」としてそれを成り立たせようとします。
しかし、有償であることが主な原因で、詐欺集団や怪しい集団としてしか見てもらえません。
また、家族からも余計なお世話と敬遠されてしまいます。
家族から詐欺師扱いされたことに怒った主婦は、無償で高齢者の面倒を見るようになります。主婦は対価を受け取らず、「人の役に立つって何て気持ちいいのかしら!」と喜んでいましたが、反面その高齢者は元気がなくなり、投げやりになっていきました。
百太郎はそのことを知り合いのおばあさん(蝶子ばあ)に相談します。(余談ですが、このおばあさんには「どうせみな10年、20年後にゃ思い知るさ。年寄なんて生き物はどこにもいやしない。自分の延長線だったってことをね!」や、「じじいってのはばばあと違って弱っちいからねぇ・・・」などの「名言」が多いです)
蝶子ばあは、その男性がプライドをへし折られたことが原因だと言います。
「大の大人を哀れな子供扱いで差し伸べてくる手は凶器だ。たった一言で年寄りの目から光を消しちまったんだから」
たとえ高齢者のことを思った言動であっても、その尊厳を傷つける可能性があることを自覚する必要があると思いました。また、国が目指す地域包括ケアシステム実現には、山ほど課題があり、本当に難しいと感じました。
以上、「ヘルプマン!!」を読んだ感想でした。
前作を読んだのはあかね入職前でしたが、補助的な立場ながらも介護現場で働き、実際の現場を経験した上でこのマンガを読んでみると、完全に介護する側(施設側)の立場で物事を見るようになっているな、と感じました。
主人公である百太郎や神崎は、徹頭徹尾「じじばばを笑顔にしたい」、「心の底から生きててよかったと思ってもらいたい」(原文まま)というスタンスを崩さず、それを追求します。そして、時には介護者や施設側の対応を痛烈に批判します。
この理想を追求すればするほど、介護者(家族など)や介護職員の負担は飛躍的に増加します。たとえ一時期高齢者が笑顔になったとしても、それが介護者や介護職員の犠牲の上に成り立つようであれば、長続きしないのではないでしょうか。
これからの介護業界には「高齢者の笑顔」と共に、「介護者や介護職員の笑顔」を追求する姿勢や価値観、環境作りが重要だと改めて感じました。
あかねが証明しようとしている「夢がある業界」とは、それを実現した業界のことかもしれませんね。