週末ブログ☆第36弾 凍りつく夏の思い出編

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もっとのびのび自由に楽しく
ブログを書こうじゃないかー!
 
ということで始まった
 
大人の事情に縛られないw
(ここ大事)
週末ブログ
 
<今日の担当>
ゾノ
 

先日2012年8月15日、
日本は67年目の終戦記念日を迎えました。

戦争で亡くなられた方々に哀悼の誠を捧げるとともに、
心より平和を祈念いたします。

——————————————–

この時期になると日本のメディアは、
こぞって「戦争」に関するものを採り上げており、
広島出身の私は、小さい頃から
原爆で被爆を受けた身内から
当時の様子をよく聞かされていましたので、

戦争に関する特集があれば
気になって見てしまいます。

悲しく辛い戦争体験を風化させないためにも、

特に若い人々には、

広島・長崎の原爆投下の事実も踏まえ、

しっかりと学んで
記憶に留めて欲しいと願っています。

さて、今回の週末ブログは、

広島に住んでいた頃

「不思議な体験」
をお話しようかと思います。

「不思議な体験」というのは
ある島で起こった出来事。

その島の名前は

「似島(にのしま)」
といいます。

瀬戸内海の
広島湾に浮かぶその島に

私は、小さい頃から野外活動や
クラブの合宿によく行っていました。

美しい海や青い空が広がるこの島は、
別名「太陽の島」とも呼ばれ、

カキの養殖が盛んな
島として今でも栄えております。

しかし、似島は広島の原爆投下時、

1万人にも及ぶ犠牲者が運び込まれたり、
熱さと火傷から川に逃げ込んで
亡くなった人たちが流れ着いていた島。

今でも広島湾の水死体は海流の関係で
全部似島に集まるらしいのです。

また、この島には唄があり、
その歌詞からも当時の悲劇が伝わってきます。

子供の頃、よく歌わされた「似島の歌」
出だしはすごくポップですが、
途中から転調し、恐ろしい悲劇の曲へと変わっていきます。

 
 
それは小学校5年生の夏休みでした。
 
 
この日は、待ちに待った野外活動。
 
行く先は「似島」
 
その時のことは今でもよく覚えており、
 
 
一日目は、海水浴やバーべキューなど楽しい内容、
 
二日目は、平和学習で、島全体にある、
防空壕や慰霊碑などを散策し、
帰ってから作成する「平和新聞」の取材。
 
 
小学生にとっては少し面白くない内容でした。
 
 
特に二日目はグループに分かれて
 
どこかにテントを張って泊まるという、
 
何故かサバイバルチックな設定にされていました。
 
 
 
楽しかった一日目を終え
 
 
二日目 平和学習
 
 
僕たちのグループは、一つ山を越えた
「地獄鼻」という
岬を目指すことにしました。
 
 
宿舎から約20kmとかなり遠い所に
 
その岬はありましたが、
そこにいく道中は慰霊碑をはじめ、
 
千人塚
 
 
弾薬庫や防空壕、軍用トンネルなどもあり
 
弾薬庫跡
 
 
軍用トンネル
 
 
 
平和新聞を作るには
 

絶好のルートということで決めました。 

(当時、高学年の僕らにとって
平和新聞とは、怖い写真を撮り、いかに注目を
集められるかが重要でした。)
 
 
しかし、小学生の足で
20kmという距離は長く、
 
地獄鼻につくころにはもう
陽がくれようとしていました。
 
 
そして、僕たちは嫌がっていましたが
 
景色がいいという理由だけで
 
先生がここにテントを
張ることを決めました。
 
幸いにも少し戻った所に水道もあり、
 
少し気味が悪い場所ではありましたが、キャンプを
するには絶好のポイントでした。
 
 
日が暮れてしまう前、友達三人で水道まで水を汲みに
行った時のことでした。
 
 
水を汲み、帰ろうとしたその時
 
 
二人の男女がこちらを見ているのに気づきました。
 
 
あまりにもじっと見られるので怖くなって、
 
僕たちはその場を早く立ち去りました。
 
 
おそらく男女は夫婦で
 
その時はなんでこんな場所にいるのかと
 
不思議でしたが、しばらくたつと
 
僕はそのことをすっかり忘れていました。
 
 
夜になるのは本当にはやく、
 
朝からずっと歩き続けていたので、
 
 
この日はみんな少し
早めに寝ることにしました。
 
 
そして、それが何時だったのかよく覚えていませんでしたが、
 
 
突然、横に寝ていた友達に起こされました。
 
 
なんだか怖い顔をしていて、
 
「なんか来る」みたいなことを叫んでいるのです。
 
 
よく聞いてみると確かに
 
 
ザザっ ザザっ 
と何かがこちらに迫ってくる感じで、
 
 
同時に耳鳴りみたいなものもしてきました。
 
(子供の時ですので皆その時は本当に怖かったと思います。)
 
 
そして、しばらくそれは続きましたが、
 
数分で耳鳴りも止まって
なんとか朝がやってきました。
 
 
明るくなってテントからでると、
 
 
そこに動物の足跡らしきものがあったので
「多分、サルかイノシシが
来たんじゃないか」と
 
先生が冗談ぽくいってくれて
 
怖がってた僕たちを
安心させてくれたのを覚えています。
 
 
そして、最終日の3日目のこの日は
残りのポイントに向かう為に
少し早く出発することにしました。
 
 
この日もとても暑かったので、
水を補給する為、
もう一度、昨日と同じ友達と水を汲みにいきました。
 
 
水汲みの道中
 
 
急に昨日のことが頭をよぎる
 
 
 
その時なんだか嫌な予感がしました。
 
 
 
 
 
すると
 
 
 
 
そこには
 
 
 
昨日とまったく同じ光景が
あったのでした。
 
 
昨日と同じ男女がこっちを
じっと見ているのです。
 
 
 
僕たちは怖くなって
 
水を汲みに行くのを止め、
 
一目散に逃げたのを覚えています。
 
 
嘘か本当か友達の一人は
 
そこに一緒に子供もいたし、、
昨日も同じ子供がいた みたいなことを
言っていました。
 
 
僕には本当に二人にしか見えなかったんですが・・
 
 
後で聞いたところ、
 
「地獄鼻」には
多くの戦争の犠牲者が
運び込まれていたそうで、
 
地元の人でも気味が悪くて
行かない、やばいとこだったみたいです。
 
(なんせ、「地獄」ってつくぐらいですからねぇ・・・)
 
 
そして、野外活動も終わり、
 
僕らの小学校で恒例の
平和新聞の作成に取りかかりました。
 
 
苦労したかいもあり、
写真もたくさん撮れていました。
 
 
今ではあまり怖くはなくなっているかと思いますが、
 
当時は心霊写真が流行っており、
当然僕たちも何か写ってないか
面白がって探していました。
 
 
大概の写真は何も写っていないものですが、
僕は昨年、この島の弾薬庫で
心霊写真を撮っていました。
 
弾薬庫の壁に写っていたのは
紛れもなく骸骨で、それも複数、
帽子を被っているのもいました。
 
 
そんなことを思い出しながらでしょうか、
 
しばらく写真を見ていて、
目に止まったのはみんなでテントの前でとった写真でした。
 
 
皆楽しそうに写っておりましたが、
 
僕はその写真が変なことにすぐ気づきました。
僕の友達の影のすぐ横に、
 
あるはずのない子供の影のようなものがその写真には
写っていたのです。
 
僕は今でもあの影を思い出すと怖くなります。
 
あの影は、あの時の子供のもの
 
それとも別のものの影だったのだろうか、
 
それは誰にもわかりませんが、
 
今思うと、もし子供だとするならば、
僕たちと一緒に遊びたかったんじゃないかと思っています。
 
そして、もしかするとあの夜
テントの前に来ていたんじゃないかと
 
思うと今でもゾッとします。
 
人生で不思議な体験はこれ一回だけです。
 
凍りつく夏の思い出 でした。
 
(ちなみに私の嫁さんの不思議体験は
UFOを見たこと らしいです。
どうもほんまの話みたいです)
 

 

採用情報|社会福祉法人あかね

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