本日の人気記事
【器用?努力の賜物?】「クロスドミナンス」って知ってる?/1件のビュー
ブログデビューした新人デザイナー「ゆりこ」と台湾の雑談
よ〜初めまして!
去年の6月にあかね入社したデザイナー「ゆりこ」と申します。
台湾出身ということで、他に戦略室にいない貴重な日本人の血統が入ってない存在です。(優しくして頂ければ嬉しいです🙏)
「ゆりこ」という名前は、もちろん本名ではありません。
あだ名の由来は、あかね一次面接の際に
ソルさんから「一番好きな芸能人」と聞かれた時に、当時大人気だった「最愛」というドラマにハマりすぎて、主演の「吉高由里子」がパッと思い浮かんで答えたことでした。
それが、多分
ソルさんの好みと合うかもしれないということで印象に残ったそうです🤔。
⚠️※注意:つまり「吉高由里子」と答えなかったら、あかねとはおさらばする運命だったってことですよね?!
また、本名の苗字は「陳(チン)」なのですが、電話で自己紹介するときにこんな悩みもございます….
①社内で電話する
私:「お疲れ様です。管理本部の陳でございます。○○さんはいらしゃいますでしょうか?」
施設のスタッフ:「○○さんですね!承知いたしました。少々お待ちください。」
施設のスタッフ(電話の向こう側):「○○さん!管理本部の人事からお電話です。」
②レストランを電話で予約する
私:「明日の19時から2名で予約したいですが、大丈夫ですか?」
店員:「かしこまりました!お名前をお伺いしてよろしいでしょうか?」
私:「陳(チン)です。」
店員:「え?!チーン様?チン(x2)様?」
という出来事がありました。
「陳さん」か「ゆりこ」と覚えて頂ければ大変助かります 😳 。
先月3年ぶりにや~~~~っと実家に帰れることになりました!
せっかくなので、このコーナーで少しでも地元のことを紹介していきたいと思います!
まず、まったく「台湾」のことがわからない方は、こちらのリンクをご覧ください。
(あえて下記にも載せておきます)
1945年(昭和20年)、当時台湾を統治していた大日本帝国(日本)が第二次世界大戦において降伏したことを受け、台湾は澎湖諸島と共に当時中国大陸を本拠地とした中華民国の施政下に編入された(台湾光復)。1950年、党国体制を採る中国国民党の国共内戦敗北で中華民国が中国大陸と海南島の国土を喪失したため、台湾は中国大陸から移転した中央政府(台湾国民政府)所在地、かつ1955年以降も中華民国が実効支配する地域(中華民国自由地区)で面積の99%以上を占める事実上の本土[注 2] となった(詳細は地理参照)。そのため、「台湾」の表記は中華民国の通称または台澎金馬全体の名称としても使用される(詳細は定義参照)。
近隣諸国としては、東および北東に日本、南にフィリピン、西および北西に中華人民共和国(中国大陸)[注 3] がある。台湾の中心都市は中華民国の首都機能を有する台北市で、その外港である基隆市、および台湾最多の人口(2020年時点)を有する新北市と共に台北都市圏を形成している。
…..……..…
…..……..…
…..……..…
こんな長い文章を読み切ってもらったら眠くなりそうですよね?(笑)
簡略して言うと、約120年前(西暦1895年)から台湾は50年間日本に統治されていました。
その時期に、日本人が各種インフラ整備から社会制度の構築まで建立してくださったわけで、台湾の近代化発展に大きく貢献しました。今でも台湾人が日本に良い印象を持っていて、「親日家」が多いようです。
(ちなみに、私の祖母は昔日本教育を受けましたので、普通に日本語を話せますし、演歌を聞いていましたよ!)
現在の台湾では、日本時代の建造物が破壊されず多く残っています。
たとえば、👇こちら👇
台湾総督府

▲参考画像:https://taiwan-shugakuryoko.jp/spot_north/447/
1919年に台湾総督府が建てられました。西洋式建築で、赤煉瓦の壁面に白い石を巡らせるスタイルは、建築家の辰野金吾が得意としたことから「辰野式」と呼ばれます。第二次大戦末期の空襲によって内部は全焼、建物も大きく破損しましたが、政府が修復してから総統府として利用されるようになりました。
西門紅楼

▲参考画像:https://www.taipeinavi.com/play/72/
なんか横浜の赤レンガ倉庫に似ていますね🤔
「西門紅楼」が建設されたのは日本統治時代の1908年。台湾で初めて建設された公設市場で、冷蔵施設を備え、新鮮な食材を長期間保存できる画期的な建物でした。当時は西門町のシンボル的存在でもあったんです。
1960年代は映画館、老朽化のため一時低迷もしましたが、1997年には三級古跡に指定、基金によって再生し、築100年を超えた今も、芸術、イベント、カフェ、また紅楼の歴史を物語る展示館として活躍しています。
台中駅(旧駅舎)

▲参考画像:https://taiwan-plus.com/archives/4558
西洋のルネッサンス時代の駅舎をモデルにした建物です。台中駅は、時代の象徴であるとともに都市のランドマークとしての役割も果たしており、台中市と台湾鉄道の発展を表しています。台中駅の建物は日本統治時代の台湾総督府に似ており、建物中央の屋根に備え付けられた豪華な鐘塔が目を引きます。
建物ではないですが、台中駅に遊びに行ったら「台中駅の歴代駅長」のボードを発見しました!
実際にこんな歴史が存在していたんですね!感動しましたわ!💦
実家の周りでも、昭和時代の足跡を残したような、こんな風景が見られます↓
台湾に帰省したのに、逆に昭和時代の日本にタイムスリップして巡ったような気分になりました!♪
安くて美味しい台湾グルメも紹介したかったのですが、長文になってしまいますので、今回は割愛させていただきます!(実はネタ切れた時に活用しようと思うので…
)
コロナ禍が終わりに近づき、国外に行くのが少しずつ解禁されてきたので、
海外旅行をお考えの方がいらしゃいましたら、是非行ってみてください!🇹🇼







