2017/10/7
2017年はAI = 人工知能の時代へ
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ホンマに練習せなあかんなと痛感したギブです。こんにちは。
AKANE CUPもダメでしたが、プライベートでやっているホッケーの社会人リーグの試合も中々勝てず、現在3戦3敗。勝てないΣ(|||▽||| )
ということでいろいろ考えてみました。
「勝負には勝ちたい。」「やるからには負けたくない。」
こう思ってホッケーというスポーツをやっています。
スポーツをやっている人であれば少なからずこういった気持ちはあるのではないでしょうか?
しかし、「勝利だけが目的なのか」というと
そうではないのかなと考えるようになりました。
なぜ「勝ちたいのか」「勝たせてあげたいのか」。
この問いに正解はないと思いますし、考え方は人それぞれだと思います。
過去を振り返ってみて、自分が指導者お立場になるまでの間。
自分が勝ちにこだわる理由を一言で言えば、
「優越感に浸りたい」
というものだったように思います。
いま考えてみるとあまり健全な動機ではないように思いますが、実際に当時は心の中でそういう部分が大きく存在していたように思います。
ラグビーの五郎丸選手が
「自分にはダークサイドからのモチベーションが存在する。それがない選手もいる。そういう選手に憧れる。できればダークサイドのモチベーションを少なくしたい。」
というようなことを雑誌Numberで語っていた記憶があるのですが、
自分は、ダークサイドからのモチベーションに大きく支配された状態でホッケーをしていたのかもしれません。
小学生の指導者をするようになり、すこしずつ価値観が変化してきたような気がします。
そして、「なぜ勝たせてあげたいのか」という問いに対する、自分なりの答えも変わってきたように感じています。
これまで自分がプレーヤーとしてやっていたときは「優越感に浸りたい」という部分が大きかったように思うのですが、
指導者としてここ一年くらいは、
「勝ちを目指す→子ども達が成長する→そこに喜びがある。だから勝たせてあげたい。」と意識するようになりました。
「勝つこと」が目的ではなく、
もちろん「勝って優越感に浸ること」が目的でもない。
「勝つこと」自体はもちろんうれしいですが、それよりも自分や子ども達がどれだけ成長できたか。
「勝つこと」は目的ではなく、“成長という目的を達成するための手段”という感じですかね。
勝つことだけを目的としていると、
どんな内容でも勝てばよい→内容の反省がおろそかになる→つぎの試合で負ける可能性が高まる。
これだと勝ち続けることができませんし、成長の速度も緩んでしまいます。
勝って兜の緒を締める。
勝ち負けに関してもその捉え方が変わってきたように思います。
以前は「勝ち=善、負け=悪」というように、善悪で考えていた部分が大きかったように思います。
“
勝ち負けは「相手と自分との力の差を確かめるモノサシ」
”
このモノサシのおかげで自分たちの強い部分、弱い部分、平均的な部分を知ることができる。
そのモノサシは、今回はここが弱かったからこの部分を鍛えてみよう、と考えたりするのに役立つ。
つまり成長のための目安になるもの、と考えています。
勝つか負けるかは重要だけど、それがすべてではないし、目的でもないですよね。
よりよいものを目指せば、そこに成長があると思います。
そんなふうに考えています。
いまのところ。
当たり前のことですが、試合はやってみなければ結果はどうなるかわかりません。
ただ、現時点で全敗している
これが事実です。
この敗戦を受け入れて、その試合をひとつのモノサシにして、
「この部分は準備が足りなかったから、もっと重点を置いて練習しよう」
というように負けを糧にしてきます。
負けることは「わるいこと」ではないと考えていますが、「くやしいこと」です。
この「くやしさ」というのは栄養になると思うのですが、内臓では消化できないみたいなので、練習に対するモチベーションにするなどして、うまいこと消化していきたいと思っています。
最後に
いろいろと書いてきましたが、結局は言うだけ、書くだけ、ではなく
「どれだけ行動できるか」
ホッケーでも、ゴルフでも一回一回成長できるよう準備していきます。
Before everything else, getting ready is the secret of success.
(準備をしておくこと。これがなによりの成功の秘訣である。)– Henry Ford(ヘンリー・フォード)-