2020/1/7
「AI 」×「OCR」で見えてくる「しごと効率化」
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こんにちは、クリエイティブチームのかずおです。
デザイナー採用のため、最近面接官を務める機会が増えてきました。
いっちょ前に、求職者に向かって「学校を卒業してから現在までの経歴をお聞かせいただけますか?」なんて言っちゃってるのですが、いろんな人の話を聞いてると、昔のダメな自分を思い出して恥ずかしくなります。
しかし求職者に快く話していただくためには、そんな自分のこともさらけ出しておかないといけないのでは!?と、ふと思ったのです。
そこで本日はあかねに入社するまでのかずおの経歴を振り返ってみたいと思います。
大阪の某デザイン専門学校を卒業したものの、ちゃんと就職活動をしていなかったため、いわゆるフリーターに。当時梅田の某書店の中にあったゲームソフト売り場でバイトをしていました。
いきなり先行きが不安になる社会人1年目。当時は「就職する」ということがどういうことなのか、バイトと何が違うのか、ハッキリ言ってよくわかっていませんでした。
いい加減ちゃんと就職せぇよと親からのプレッシャーを受け、しぶしぶ就職活動を開始。
更には父から知り合いの会社を紹介され、このままではその会社に行かないといけない状況に。
でも“親に紹介された会社”に行くのはものすごく嫌だったので、なんとか自力で見つけようと本気で探しはじめ、軽自動車のカスタム情報なんかを扱う雑誌の編集部に入社が決まりました。
偶然、面接官が専門学校のときの先生だったんです。
エディトリアルデザイン、写真撮影、コピーライティング、メーカーや読者への取材、イベントの取材などなど、徹夜もしょっちゅうしながら様々なことを経験し、学ばせていただきました。
それと同時に、軽自動車に300万円ぐらい注ぎ込んでカスタムをするという取材対象や読者に驚かされ(それだけ払えば相当いい車買えるやん!?)、人にはいろんな価値観があるんだということも学びました。
また、一人会社の車を運転し、愛知県にあるメーカーまで全く興味のない商品の取材に行ったりしてたので、それなりに思い切りというか、度胸がついた気がします。
なんの知識も経験もない私を拾ってくれた編集部でしたが、入社1年ほどで解散となります。
会社都合の退職だったので幸いすぐに雇用保険が出て、まるまる3ヶ月のんびり過ごしました。何をしていたのかも思い出せません。
1社目入社までの苦労もすっかり忘れ、のんびりと就職活動を開始。
しかし運良くすぐに、大阪市内のデザイン事務所への入社が決まります。
入社時は繁忙期だったようで、みんな遅くまで会社にいることが多く、そんなときは社長が宅配弁当を注文してくれていました。「なんてちゃんとした会社なんだろう!(前社比)」と思ったのを覚えています。
百貨店のチラシや学習教材、商品カタログやコンサルタントのセミナー開催DMなど、様々な紙媒体のデザインをこなしてしました。
打ち合わせやヒアリングにも同行しましたが、どちらかというと社内にいて、次から次へとやってくる仕事をバンバン片付けるというフローが多く、“短時間でそれなりのデザインに仕上げる”というスピード感を養われました。
また、Webデザインに関わることもあり(専門学校でWebも学んでいたので)、Webの方が楽しいな〜なんて思っていました。
この会社ではデザイナーとして尊敬できる先輩たちに恵まれ、ものすごく丁寧に育てていただきました。今でもときどき仕事をいただくなどお付き合いがあり、感謝しきれません。
5〜6年ほど勤務したあたりでしたでしょうか。
私は、クライアントの要望に沿ったものをつくるというデザイナーとして当たり前のことに嫌気が差しはじめ、「なんでダサくなるような指示をしてくるんだろう?」「もっと自発的な仕事がしたい!」などと思うようになっていました。
また、その頃から会社の業績が下がりはじめ、デキる先輩から徐々に退職していくといった状況に。仕事が遅くなっても宅配弁当は出なくなり、オフィスにあったウォーターサーバーも経費削減で無くなっていました。
そうしてあるとき社内を見渡した時に、自分がデザイナーの最古参になってしまったと気付き、先輩方のつくった流れに乗るように退職したのでした。
↓当時の私の自宅デスク
退職した私は「よし、せっかくだから半年ぐらいガッツリ遊んでやろう!」と思います。
「半年も仕事しないなんて無理だった」みたいなエピソードはよく聞くんですが、私の場合は本当に半年ほどガッツリ遊びました。
いや、遊んだと言っても家でゲームしまくったり、BSでやってる「ドラマ全話一挙放送!からの映画3部作連続放送!」みたいなのをまるまる見たり、引きこもりのような期間を過ごします。
アクティブなことといえばバンド活動をしたことぐらいでしょうか。ネットのメンバー募集掲示板で出会った見ず知らずの人たちとバンドを組んで呑みに行ってケンカして辞めたり……。
よく考えたらほんのちょっと前の自分なんでアレですが、とにかくダメ人間ライフを謳歌しました。
↓当時の私がつくったチャーハン
予定通り半年が経過した2012年12月頃、就職活動をするわけですが、「もっと自発的な仕事がしたい!」といって前職を辞めたので、そういう仕事ができるのは……と考えた時に見つけたのがインハウスデザイナーの仕事でした。
そして時代的にも名前の響き的にもWebデザイナーがいいんじゃないかと思い、「インハウスWebデザイナー」を目指すこととなります。
前職での経験と評価から、実は転職に自身を持っていたのですが、数社受けても良い反応を得られないでいました。
そんな中、「社会福祉法人」のインハウスWebデザイナー募集の記事をハローワークで見つけます。そう、あかねの求人票です。
このとき私が思ったことをそのまま書きましょう。
「社会福祉法人のWebデザイナーかぁ、楽(ラク)そう」
アホです。
こんな当時の私をお許しください(念のため言っておきますが、全くラクではないですよ)。
ちなみにこのとき、戦略室ブログと出会います。
社内の雰囲気を伝える当時のブログを見て「なんか仲良さそうだな~」と思いながら、入社時の自分をイメージしていました。
↓当時見たのはたぶんこのあたりでしょう。
話を戻して、ここまで数社の面接に落ちていた私は、このラクそうな会社に入社するため、ありったけの作品をポートフォリオ化し(でかいファイル2冊分)、せめて得意なこととやる気だけは伝えなければ!と意気込んで面接に臨んだのです。
当時ロータス・ガーデン内に事務所があった経営戦略室で、大佐の面接を受け、「デザインのスピードは負けないです!」みたいなことを伝えたところ、ちょっと待ってねと言われ
「ちょうど上の者が来たのでよかったらこのまま面接していく?」
と告げられました。
私はその上の者=BOSSがどういう立場の人なのかわかっておらず、言われるがままに面接をすることに。
次々来る質問に必死で答えるものの、あまりうまく答えられた実感がなかったため、せめてやる気を見せねば!と思い、最後に「がんばりますのでよろしくおねがいします!」と頭を下げて面接終了となりました。
その帰り道で私が思ったことをそのまま書きましょう。
「あの人がデザイナーの長なんかな?厳しそうな人やなぁ」
アホです。
ブログを見てたはずなのに。
こんな当時の私をお許しください(念のため言っておきますが、厳しいってのは当たってました)。
その後しばらく連絡がないまま年末を迎えます。
大晦日に家族と一緒に伊勢神宮を参り、特に信心深くない私がお伊勢さんに「はやく就職が決まりますように」と祈ったその30分後ぐらいでしょうか。
当時の人事担当から内定の電話がかかってきたのでした。
信心深くない私もさすがに
「お伊勢さんスゲーー!!」
と思わずにはいられませんでした。
こうしてあかねに入社し、現在に至るわけですが、またいつかあかねに入社後の経歴をまとめてみたいなと思います。
ちなみに
「こないだ面接したデザイナーの子(←私のこと)、誰も結果聞いて来ないけどいらんの?」
という社内掲示板への書き込みを見つけるのは、あかねに入社後しばらくしてからのこと。
やはりお伊勢さんパワーで入社できたに違いありません。
↓2013年1月4日、入社に先立って部署の新年会に呼んでいただいたときの私(当時の戦略室ブログより)。